御三家の一族・家臣
三家の家臣は、基本的に将軍家と同様、三河以来の譜代家臣を祖とする者が多かったが、その中でも将軍直臣の扱いを受け、特別に目付役の任を持ち、数万石レベルの大名に匹敵する「附家老」と呼ばれる大身の家臣がいた。
また、将軍家の血筋の予備としての御三家の性格上、御三家自身も当主を絶やさぬように血統の保存装置として支藩を持つ必要があり、御連枝と呼ばれる分家を持った。
尾張家の連枝・美濃高須松平家、紀州家の連枝・伊予西条松平家、水戸家の連枝・讃岐高松松平家など、いずれも松平姓の諸藩である。
たとえば紀州家当主だった徳川吉宗が8代将軍として宗家を嗣いだ際に紀州家当主となったのは、伊予西条家の松平頼致である。
また、幕末の尾張家当主徳川慶勝も美濃高須家から養子に入っている。
また、御三家の正室は、特に御簾中と呼ばれた。
なお8代将軍吉宗以降は、御三家を模した御三卿が創設。
また、将軍家の血筋の予備としての御三家の性格上、御三家自身も当主を絶やさぬように血統の保存装置として支藩を持つ必要があり、御連枝と呼ばれる分家を持った。
尾張家の連枝・美濃高須松平家、紀州家の連枝・伊予西条松平家、水戸家の連枝・讃岐高松松平家など、いずれも松平姓の諸藩である。
たとえば紀州家当主だった徳川吉宗が8代将軍として宗家を嗣いだ際に紀州家当主となったのは、伊予西条家の松平頼致である。
また、幕末の尾張家当主徳川慶勝も美濃高須家から養子に入っている。
また、御三家の正室は、特に御簾中と呼ばれた。
なお8代将軍吉宗以降は、御三家を模した御三卿が創設。
update:2010年02月22日
